毎年5月の第2日曜日は母の日。
日頃の感謝の気持ちを伝えるため、カーネーションをギフトとして贈るのが定番ですが、この特別な日はいつ、どのように始まったのでしょうか。また、どうしてカーネーションを贈るようになったのでしょうか。ここでは、母の日の由来やカーネーションにこめられた意味をご紹介します。
アメリカで制定された「母の日」の由来
母の日の発祥は、20世紀初頭のアメリカです。アンナ・ジャービスという女性が自分を苦労して育ててくれた母親を敬愛し、その母を敬う気持ちを後世にもつなげていきたいと、「母親のための祝日」を設ける運動を始めました。
アンナの母、アン・ジャービスは敬虔なクリスチャンで、南北戦争の負傷兵の衛生状態を改善するボランティア団体を立ち上げ、怪我や病気で苦しむ兵士たちに救いの手を差し伸べました。戦争後も平和活動や子どもたちへの教育支援、軍人たちのケアを献身的に行うなど、社会事業活動に終生身を捧げました。偉大な母であり、まさに人々の「母の鑑」のような女性だったのです。
そんな偉大な母を想うアンナの「母親のための祝日を設ける運動」は少しずつアメリカ全土に広がっていき、1915年には5月第2日曜日を「母親のための祝日」とする法案が施行されるに至りました。
母の日にカーネーションを贈る理由とは?
母の日といえば、カーネーションですが、どうしてカーネーションなのでしょう?
アンナは、志半ばで亡くなった母を追悼するために白いカーネーションを教会の祭壇に飾り、出席者にも想いを込めて配りました。白いカーネーションこそ母のアンが大好きな花だったからです。
そこから、母が亡くなっていれば白いカーネーション、健在であれば赤いカーネーションを贈るという習慣が広まっていきました。時代が変わった今もその伝統を受け、お母さんへの感謝や敬愛の想いを伝える特別な意味が込められたカーネーションが、母の日のシンボルとなっているのです。
ただ現在は、品種改良などにより、カーネーションの種類も多種多彩。赤に限らずさまざまな花色のカーネーションが流通するようになっています。自分の好きな色を贈るか、お母さんの好きな色を贈るかはお好みしだいです。赤いカーネーションは「母への愛」、ピンクは「感謝」、青は「永遠の幸福」と、色によって異なる花言葉で選ぶのもおすすめです。
日本の母の日はお菓子メーカーが全国に広めた?
アメリカで制定された「母親のための祝日」は、世界各国に広まりました。日本でも1915年直後に、キリスト教会などでは既にお祝いが始まっていたと言われています。その後、教会で行われていたイベントが少しずつ一般の人々の間に広まったと伝えられています。
母の日が日本で本格的に認知されたのは、1937年にある大手製菓会社が母の日を全国的にキャンペーン告知したことに始まります。その後、戦争に突入したことで母の日のお祝いは一度途切れますが、戦後の1947年、5月第2日曜日が母の日としてようやく制定されることになりました。
アメリカ発祥の母の日は、30数年を経て日本に定着したのです。
日にちや習慣、プレゼントも様々な世界の母の日
今や母の日は世界中で祝われていますが、国によって日にちはもちろん、習慣やプレゼントなども異なります。
イギリスやアイルランドでは、イースター(復活祭)の2週間前の日曜日が母の日です。ただ、基準のイースターが「春分の日の後の、最初の満月の次の日曜日」と毎年変わるので、当然母の日も毎年違う日になります。そのため、母の日を忘れてしまうのも珍しくないとのこと。
フランスでは、5月最後の日曜日に行われます。「お母さんたちのお祝い」と呼ばれ、家族みんなが集まってお茶や食事をするのが恒例です。その他のヨーロッパ諸国は日本と同様に5月第2日曜日を母の日とするのが主流です。
一方、サウジアラビアやカタール、エジプトなどイスラム諸国は3月21日(春分の日)を母の日とするのが一般的で、カラフルなスカーフをプレゼントする国民的なイベントになっています。